連載エッセイ最終話|こどもとセカイ 「ケンカとめるなら、ようちえんいかない」
まだ私が保育者になって1年目のときのこと。
そのときは愛知の里山のふもとにある幼稚園に勤めていました。なにしろ、右も左もわからない1年目。むやみに肩に力も入っていたのでしょう、とにかく保育者として「ちゃんとしなくちゃ」と思っていたのかもしれません。こんなことがありました。
その幼稚園はとても自由な園で、裏山に栗や椎の実を取りに行ったり、川へいけば水遊びをしたり、サワガニをつかまえたり、春にはたんぽぽで黄色く染まった野道をゆったりゆったり散歩したりと、とにかく毎日がのんびりしていて、1年目の私も子どもたちと日々おもいきり遊んでいました。
子どもたちもとっても活発で、ケンカもしょっちゅう。なかでも、よしくんと、じゅんぺいという元気者の二人は、日に何回も叩きあったり、蹴りあったり。肩に力の入りまくって、立派な「先生」をやらなくちゃ!とはりきっていた私は、よしくんとじゅんぺいがケンカするたびに、「ケンカはだめだよ」ととめていました。
私にとめられると、よしくんとじゅんぺいは「ふんっ!」という感じでそっぽを向いていました。それはてっきり、お互いに相手に不満だからだろうと思っていたのですが…。
そんなことをくりかえしていたある日、いつまで待ってもよしくんが幼稚園に来ません。風邪でもひいたかなぁと思っているうちに、よしくんのお母さんから電話がかかってきました。
「あの…」とよしくんのお母さん。なんだか言いづらそうです。「よしくんが幼稚園行きたくないって言っているんです」
「そうなんですね、昨日なんかあったかなぁ」と私。
「ちょっと言いにくいんですけど、青山さんがケンカとめるから幼稚園つまらなくなった。だから行かないって言うんです」
衝撃でした。
ケンカはいけないんだよ!と(いま思えばとてもおせっかいにも)、よしくんとじゅんぺいのケンカをとめることこそ、「先生」としての正しい振る舞いだと信じて疑わなかったのです。でもそれをつづけていたら、よしくんにとって幼稚園はもう来たくもないほどの「つまらない場所」になってしまったのです。
私はお母さんに電話をかわってもらって、よしくんに言いました。
「よしくん、もうケンカとめないから幼稚園きてくれない?」
いいよ、とよしくんは言って後からお母さんに送ってきてもらいました。
「よしくんどうしたの?」と保育室にいくとじゅんぺいが聞いてきたので、理由を話すと、
「アオヤマ(そう呼ばれていました)は、いつもちょうしにのってるからな」といって、ひひひと笑いました。
正しいか正しくないか、それだけで見ていたら子どもの心に触れられない。
ケンカも子どもにとっては生きていくのに必要なもの。
子どものことは子どもに一つ一つ教えてもらって、私は子どもとの日々を暮らしてきました。もし子どもとの関わりで迷ったら、子どもに「どう思う?」と聞いてみるのもいいかもしれません。
【過去記事】
連載エッセイ第1話|こどもとセカイ 「生きていることがうれしい」
連載エッセイ第3話|こどもとセカイ 「ゆいちゃんの見えない友だち」
連載エッセイ第5話|こどもとセカイ 「ひとつおおきくなった、いおりくん 」
連載エッセイ第6話|こどもとセカイ 「がっくんの寝かしつけ」
執筆 青山 誠
保育者。社会福祉法人東香会上町しぜんの国保育園施設長。保育の傍ら、執筆活動を行う。第 46 回「わたしの保育~保育エッセイ・ 実 践 記 録 コ ン ク ー ル 」 大 賞 受 賞 。 著 書 に 「 あ な た も 保 育 者 に な れ る (」 小 学 館 ) / 「 明 日 か ら の 保 育 チ ー ム づ く り (」 フ レ ー ベ ル 館 ) / 「 子 どもたちのミーティング~りんごの木の保育実践から」(共著・りんごの木)/「言葉の指導法」(共著・玉川大学出版部)