連載エッセイ第1話|こどもとセカイ 「生きていることがうれしい」
この世にあるものはみな、それぞれのかたちで祝福をしている、という言葉をどこかで聞いた。
玄関でせなちゃん(1歳)が靴を出している。かかとのところに「せな」と書いてある。自分の靴だ。それをどうやら履こうとしているうまくいかない。 私に気づいて「んっ、んっ」と靴を指す。
「はかせて」ということなのだろうか。 手伝って履かせると、今度はもう一方の靴を指す。 両足に靴を履くと、立ち上がって自動ドアの前にいく。 ドアを見上げる。「ここ、あかない」という顔をする。私の方をふりむいて「んっ、んっ」とドアを指差す。
「あけて」ということらしい。どうしようか迷ったが、ついていってみることにして自動ドアを開けた。そこをぬけると、せなちゃんは当然のように今度は玄関扉を指差す。 それで一緒に外へ出た。
春らしいうららかな日。園の前の道は人通りもなく静かだ。せなちゃんはふいに勢いをつけて歩き始めた。まだたどたどしい歩き方なのに決然と歩いていく。
私が「手をつなごうか」というと、せなちゃんは両手を背中の後ろに隠して首をふる。 どうやら自分で歩きたいらしい。それでせなちゃんと歩いていく。 植えこみを見つけて、葉っぱを指差す。ひとつつまんでとって、せなちゃんに渡す。
「っぱ!っぱ!」とせなちゃんは葉っぱを見て言う。今度は咲き始めたばかりのツツジを自分でつまんでとる。ツツジはべたべたしていて手にくっついてしまう。 せなちゃんはそれを自分のズボンでこすりおとす。それからまた歩き出す。
ところが足がもつれて転んでしまう。 歩道のでこぼこは、おとなにとっては平らと言っていいくらいだが。せなちゃんにはかなりのでこぼこのようだ。
転んでしまった自分に、せなちゃんがふいに笑い出す。しばらく笑うと立ち上がってまた歩き出す。
せなちゃんにとっては葉っぱもツツジも歩道も、私たちにはもう感じられない手触りやでこぼこにあふれている。私たちの生きている世界とはまるで別物と言っていい世界に、せなちゃんは生きているのかもしれない。
それは多くの謎や不可解に満ちていることだろう。そんな世界につまずいて転んでも、せなちゃんは笑ってしまうのだ。まるで生きていることそのものがうれしいというように。
せなちゃんの祝福を通して、私は今日世界に出会い直すことができた。子どもたちの世界はいつでも私たちの目の前にひろがっている。それをともに生きるかどうかは私たち次第なのだろう。
執筆 青山 誠
保育者。社会福祉法人東香会上町しぜんの国保育園施設長。保育の傍ら、執筆活動を行う。第 46 回「わたしの保育~保育エッセイ・ 実 践 記 録 コ ン ク ー ル 」 大 賞 受 賞 。 著 書 に 「 あ な た も 保 育 者 に な れ る (」 小 学 館 ) / 「 明 日 か ら の 保 育 チ ー ム づ く り (」 フ レ ー ベ ル 館 ) / 「 子 どもたちのミーティング~りんごの木の保育実践から」(共著・りんごの木)/「言葉の指導法」(共著・玉川大学出版部)